堕胎を心に刻むためのタトゥー


堕胎を機にタトゥーを入れる女性がいる。これらの女性は「中絶したことを忘れないため」、「二度とこのようなことをしないため」、「堕ろした子のことを忘れないため」、「中絶したときの心の痛みを忘れないため」と言ってタトゥーを入れる。
日本人の大多数は、このような女性の行動は全く考えられないことであり、このような女性に対して気持ち悪さを感じるだろう。

ではなぜ我々は、「堕胎を心に刻むためのタトゥー」に拒否反応を示すのだろうか?

以下では、「堕胎を反省する」、「堕ろした子への想いを心に留める」といった想いが、「タトゥーを入れること」に結び付けられることによって、如何に非人間的なものに変質するかを議論していく。

タトゥーを入れる理由と心理

タトゥーを入れる理由や心理には、以下が挙げられる。
  • ファッションのため
  • 格好いいから
  • 周囲の目や気を引こうとして
  • パートナーや仲間との結びつきを強めるため
  • 自己顕示欲を満たそうとして
  • 自傷行為として
  • 自己変革のため
近年、「ファッションのため」という表向きでタトゥーを入れる人が増加傾向にあるが、「ファッションのため」にタトゥーを入れるということはあり得ない。それは、ファッションというものには、組み合わせや時と場所と場合に応じた変化が重要なファクターとして存在するからだ。真にファッションのために行うのであれば、短時間で消えるボディペイントやシールを選択する。そうでないと、最も良いと思う組み合わせを選択できないし、場や流行に合ったファッションができなくなる。

よって、「ファッションのため」という理由には、「格好いいから」という理由がその背後にある。一見同義に見える、「ファッションのため」と「格好いいから」という言説には、大きな違いがある。それは、「格好いい」というものには、「偉そうにできる」、「大した奴だと思われる」というような、コミュニティにおける序列や位置付けを左右する要因を含むからだ。このように、「ファッションのため」や「格好いいから」という理由には、自己顕示欲という心理がある

外交的でなく、かつ承認欲求の強い人がタトゥーを入れる場合には、「周囲の目や気を引こうとして」という理由の占める割合が大きい。このような人々は、周囲に構われたいにも関わらず、能動的に自分から他者にアクセスできない。そのため、タトゥーを入れることにより、コミュニティに注目され、他者からのアクセスを増やそうとする。


「パートナーや仲間との結びつきを強めるため」という理由も、承認欲求が主要な位置を占める。それは、タトゥーを入れている人々がマジョリティから排斥されやすいために、同様な者同士の結束が固くなることによる。


また、タトゥーを入れることは自傷行為としての側面がある。なぜなら、タトゥーを入れることは、自己の生存にとってマイナスになることを、自ら行う行為であるからだ。そのため、アメリカのようにタトゥーを入れることが、日本で髪を染める程度の事になりつつある国では自傷行為であるという側面はなくなりつつある。しかし、日本では依然タトゥーを入れることのリスクが大きいため、自傷行為という側面はまだ大きいだろう。【参考:ウィキペディア「自傷行為」

「自己変革のため」にタトゥーを入れる人もいる。例えば、「ダンサーを生涯の職業にする」と決めた人が、自らダンサー以外の道を閉ざすためにタトゥーを入れることがある。このようなケースは、自己の可能性を自ら狭める行為であるため、自傷行為の一種と考えられる。本件の議題である「堕胎を心に刻むためのタトゥー」もまた、「自己変革のため」という理由の範疇に入るが、これもまた、同様な意味で自傷行為という側面を持つ

このように、タトゥーを入れるという行為には、様々な表向きの理由とその背後に隠れた心理がある。そして、一つの理由ではなく、様々な理由を含んだ複合的な理由から、人々はタトゥーを入れる。


堕胎をタトゥーに結び付けること

そこで我々は、「堕胎を心に刻むためにタトゥーを入れる」という行為は、必ず「格好いいから」という理由を含んでしまうことに気付く。

なぜなら、日頃からタトゥーというものに注意を払っていない人間は、堕胎という出来事をタトゥーに結び付けることはない。そしてタトゥーに注意を向けている人間は皆、タトゥーを「格好いい」と思うからタトゥーというものを注視している

さらに、堕胎をきっかけにしてタトゥーを入れる女性は皆、「格好いい」タトゥーを入れる。そのタトゥーには、堕胎を連想させるものはなく、自己を反省させるためのみっともないものは何もない。ただそこにあるのは、彼女らにとっての「格好良さ」だけである。

そして上記に述べたように、「格好いいから」タトゥーを入れるという理由には、自己顕示欲を満たすため、つまり「偉そうにしたい」、「周りの人間を卑下したい」という人間の欲望が鎮座している

これはつまり、「一人の子供を殺してしまった」という出来事を、自己顕示欲を満たすためのきっかけにしたり、自己顕示欲を満たすために利用したりしているのだ。このように、「堕胎を心に刻むためにタトゥーを入れる」という行為は、刑務所で殺人犯が殺した人数を自慢する行為とそんなに変わらない。

堕胎を心に刻むためにタトゥーを入れる女性たちは、もちろん自分のしていることがこのようなことだとは考えもしないだろう。

しかし、堕胎をきっかけにしてタトゥーを入れる行為は、このような非人間的で醜い行為なのである。

自己と周囲への影響

それでは、堕胎を心に刻むためのタトゥーを入れたことによって、自分自身と周囲にどのような影響を与えていくかを考えていこう。

タトゥーを入れたことさえ周囲に打ち明けていない

この場合、タトゥーを自己顕示欲を満たすために利用することなどないし、できないように思える。しかしながら、知人や友達と会話しながら彼女らはこう思う、「私はこの人たちとは違う」、「私は特別なんだ」と。

このように、打ち明けていなくても、彼女らは自慰行為的に自己顕示欲を満たす。

タトゥーを入れたことだけは周囲に打ち明けている

この場合、周囲の人々はもちろん堕胎の事実など知らないため、簡単にそのタトゥーを話題に挙げるだろう。そして、真意はともかく「かっこいいね」とか「すごいね」と周囲は言う。このとき、タトゥーを入れた本人は、得意な気分にもなりつつも、過去を思い出して自責の念を抱くだろう。

反省すべきとき、悲しむべきときに自己顕示欲を満たしてしまうことは問題だ。しかしさらに、この自責の念自体も長くは続かず変化していく。人間の精神は、その安定に反するものは忘れたり、自己を守るものに変えていく性質がある。そのため、このような自責の念は、自己憐憫や自尊心を満たすようなものに変わっていく。それはつまり、堕胎した事実に対して「私って可哀そう」とか、「私はいろいろな経験をしていて他の人より優れている」とかそういうことに変えてしまうのである。

このようにして、彼女らはさらに捻じ曲がっていく。

堕胎したことも、そのためにタトゥーを入れたことも周囲に打ち明けている

この場合、上記「タトゥーを入れたことだけは周囲に打ち明けている」状況に加え、周囲への強いメッセージを含むようになる。

堕胎したときのパートナーは、このタトゥーを目にする度に何か責められているかのような気分になるだろうし、これを見せつけられた友達は、「可哀そう」、「大変だったね」と慰めなくてはいけない気分になる。

そしてこれが異なるパートナーの場合、事はより深刻である。そのことを聞いたパートナーは、そのタトゥーを見る度に、前のパートナーとの絆みたいなものを見せつけられ、しかも女性にとってつらい出来事であるから責めるに責められない。

このようにして、彼女らは周囲さえも傷つけていく。

関連情報

人工妊娠中絶に関する補足情報:

厚生労働省の統計では2014年における人工妊娠中絶の件数及び実施率は下表。異なる統計では、2013年における日本の女性の人工妊娠中絶経験者は13.2%とのこと【参考:公衆衛生ネット『「第7回男女の生活と意識に関する調査」結果(概要)』】。

件数実施率(%)
総数181 9050.69
20歳未満17 8540.61
20~2439 8511.1
25~2936 5941.32
30~3436 6211.12
35~3933 1111.1
40~4416 5580.77
45~491 2810.34
50歳以上170.03
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