原始人 著者:筒井康隆 出版:文春文庫 発行:1990/09/10 評価:★★★☆☆ Amazonで詳細を見る |
筒井康隆著の『原始人』は、極めてスペクトルが広い、雑多な、本当に雑多な作品を集めた短編集。
原始人類の複雑な情緒の芽生えを描いた「原始人」、無法・無道徳なパンクな街の日常を綴った「アノミー都市」、裸で逃げ回る羽目に陥ったエリートサラリーマンの悲劇を描いた「俺は裸だ」、などの妙な前提でのリアリズムを追求した作品群。
そして、背徳的な家族を家具によって語らせる「家具」、饒舌な言葉によって構築される世界に取り込まれてしまう「他者と饒舌」のような不思議な世界観を描いた作品や、さらには読者までをも巻き込んだメタ文学作品をも収録。
原始人
原始人
★★★★☆単純な言語しかなく、憎悪や嫉妬、愛情の観念にも気付かない原始の人類。男は殴って女を犯し、食物を強奪するため親さえ殺す。
そんな原始の時代、若い男が年増の女と洞窟で暮らしていた。ある日男は、若い女を見つけ、殴り、犯し、洞窟に連れ込む。
年増女は嫉妬に駆られ若い女を殺すが、男には嫉妬などという高尚な情緒はわからない。そして男は、年増女に欲情しなくなったことを思い、年増女を殺してしまう…。
なかなか酷い話ですが、複雑な情緒の芽生えを描くというアイデアはさすがです。そしてこんな畜生同然の原始人と、多少違いはあったとしても「すべてわれらと何ら変わることなし」です。
しかしもちろん、こんな時代が人類にあったなどという可能性は極めて低いでしょう。猿でさえ、あれほどの社会性を持ち、利他的行動も観察されるわけですから。とは言え、人類の歴史のあまりの黒さを見ると、猿から人間に至るまでに獲得した形質として、いいものばかりではないなとも感じてしまいますが…。
アノミー都市
★★★★☆法も道徳もないが、ある種の平衝が保たれている都市の話。
自宅で目覚めた男は、シャワーを浴びたあと裸で外に出る。その日は快晴で、肌に注ぐ陽光が気持ちいい。
そこに現れた向かいの家の女子大生を、家に連れ込み押し倒す。嫌よ、困ったわなどと言いながら終わった後はウットリしている女子大生を残し、街に繰り出す男。
目についた家のデザインに怒り、破壊し、男はすっきり。という感じで進行する、そんな街のパンクな日常。
というこれまた酷い話です。気になった部分として、終盤にこの無法状態と相容れない人物が現れ、マジョリティがその人物を殺すか否かで議論になる場面があります。そしてそこで、そういった異質な者を許容するか否かの押し問答が起こります。
そこには何らかの深いメッセージがあり、マートンの『社会理論と社会構造』あたりを読めば理解できるのかもしれません。しかし筒井氏の書くことですから、何もないことも大いにあります。
アノミー:
アノミーとは「無法律状態」を意味するギリシア語に由来する概念で、デュルケームによって「行為を規制する共通の価値や道徳的規準を失った混沌状態」と定義された。デュルケームによるアノミーの例として、一つには、社会的分業が進んだ近代以降における、クラスや集団の間での相互作用の減少を原因とする、共通の規範が不十分な状態。
もう一つは、経済の危機や急成長などで人々の欲望が無制限に高まるとき、欲求と価値の攪乱状態が起こり、そこに起こる葛藤状態、が挙げられる。
このようにアノミー概念は、前者のような社会的側面と、後者のような心理的側面の両面に注目する。
またマートンは、心理的側面をより一般的に「文化的目標とそれを達成するための制度的手段にギャップが存在する場合にアノミーが生じる」と説明している。
【ウィキペディア:アノミー、ウィキペディア:ロバート・キング・マートン】
エミール・デュルケーム:
オーギュスト・コントによって創始された社会学を、科学的な学問として確立させようと尽力したフランスの社会学者。「社会的事実」と定義される、個人を源としながらも、集団や社会が個人のしきたりや慣習を規定し、個人の行動や思考を支配するという考え方を提唱。このような考え方は、今では極めて一般的である。
また、そのような社会的事実として、19世紀後半の欧州で増加していた自殺について、アノミーについて扱い、宗教に依拠しない道徳についても精力的に提唱した。
【ウィキペディア:エミール・デュルケーム】
家具
★★☆☆☆湖畔にポツンと建つ邸宅、湖を全裸で泳ぐ奔放な妻、それを邸宅から眺める実弟。
そして十年後、妻は去り、弟も追い出したが、自身は病床にあった…。
背徳性漂う男女3人の営みを、人の時間軸とは異なる家具達に語らせたアバンギャルドな作品。
エロチックな滑り出しにドキドキしたと思うと、突如として独白する家具に呆気に取られ、そして最後には静寂が残る、不思議な読後感を持つ作品でした。
おもての行列なんじゃいな
★☆☆☆☆昔は大名行列が通った山陽道にあるタバコ屋のアル中おやじが、只只、歴史のエピソードや自分の人生、妄想を独白する話。
この話は最後、平仮名で綴られた意味不明な言葉の羅列になるのですが、そうすることが何を意味するのか、私にはよくわかりませんでした。
怒るな
★★☆☆☆自己修復機能を持つ知的なロボット達により稼動し、完全に運営されている未来の工場。
先日から、何故かロボットの調子が悪くなり、その原因を探るためにロボット工学者達が集められた。しかし、機械的故障やプログラムの故障が議論されたが問題はない。
さらには、知的生命他としての欲望などの芽生えの可能性もあったが…。
残念な結果に終わります。
他者と饒舌
★★★☆☆自分が勤める会社の社長を殺したある男が、朝刊に自分ではなく同僚が殺したという記事を見つける。
別に同僚に罪をかぶせるような工作もしておらず、訝しげに読み進めると自分の長々とした事件への証言が現れて…。
饒舌の世界に取り込まれる男の不思議な話です。
抑止力としての十二使徒
★★☆☆☆ある男により語られる、古今東西の天才だけを集めた、十二人の学者の奇妙な人となり。
研究者という存在への揶揄や皮肉もあるでしょうが、様々な役割を果たす研究者や、研究というものの実態が鋭く描かれているように思います。
読者罵倒
★☆☆☆☆延々と綴られる、読者への罵詈雑言。
本当に悪口が延々と続きます。
不良世界の神話
★★☆☆☆古事記における天地開闢神話の俗悪かつ嘲笑的なパロディ。
開闢のところがちょっとおもしろかった。
太初の神イームが生まれた。ひとり神であったため、なすすべもなくやがて死んだ。・・・中略・・・次々と神は生まれ、次々と神は死んだ。ゆえに自然であった。十六番目の神は男神ツーロキーゴであり、十七番目の神は女神ザークヤであった。同時に生まれたので、なすべきことがあった。それは性行為であった。ひどいけど、古事記の記述を冷静に考えたらこうだよな、と私も思います。因みに、「ツーロキーゴ」はイザナギ、「ザークヤ」はイザナミを指しているのだと思われます。
古事記:日本最古の歴史書。天地開闢神話や日本創生神話が綴られている。
おれは裸だ
★★★☆☆「火事だぞう」、そのときエリートサラリーマンの高志は、人妻である泰子とホテルで不倫中であった。
大急ぎで下着を着け脱出した2人だったが、外は極寒の真冬。そして泰子は、高志の財布ごとタクシーで逃げてしまう。
下着のみで無一文の高志は、さらに激しい腹痛に襲われ・・・。
もし自分がこんな目にあったらと思うと恐ろしい話です。筒井氏は、こういう話書くと特にうまいなと感じます。
書家寸話
★☆☆☆☆大江健三郎や岡本太郎、野坂昭如などの著名人と著者の間のショートダイアログ集。
2段オチ、3段オチ、考え落ちなどで落とされるシュールな会話がいっぱい。
考え落ち:ぱっと聞くとよくわからないが、後々よく考えると笑えてくる話。
筒井康隆のつくり方
★★☆☆☆結婚時の珍事も含めて、著者がどんな環境の下にどう成長してきたか、そして人格攻撃も含めて、どのように評論されてきたかを綴った筒井康隆のつくり方。
筒井さんはすごい。
屋根
★★☆☆☆恋する馴染みの女子が寝たきりになり、主人公は見舞いに行こうと決心する。
しかしただ見舞いに行くのではなく、自分の家から彼女の家まで屋根伝いに向かうという、若き日にありがちな信念の下に実行する冒険譚。
下らない事を、緻密に書くという康隆一流の物語です。
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