自由意志は存在しない

自由意志の画像

私達は生活を送りながら、頭のなかで考え、様々なものを観察し、また判断していると思っている。そしてそれを実行する自分というものが存在し、行動し発言し決定をしていると思っている。

また同時に、私達が生きているこの世界は、地球も含めた宇宙という空間があり、その中に物質があり、物理法則に従って動作していることを知っている。

しかし、自分というものが存在することと、空間の中で物質が法則に従って動作していることが矛盾していることにほとんどの人々は気づいていない。

以下では、自分というものは存在しておらず、自分が日々行っている思考や判断が、水が高いところから低い所へ流れることと同様に、物質が物理法則の下で発展した結果に過ぎないことを説明していく。

意志は法則の帰結

ある瞬間にあなたが何かしら決定したとしよう。その時あなたは、自分の脳内にある自己が五感からの入力に対して判断し、その決定をしたと思っている。

しかしあなたを構成する脳は、空間に存在する物質であり、物理法則に反する動作をすることはない。このように考えると、ある瞬間の脳の全ては一秒前の脳の全てが脳に入力される情報の影響の下、物理法則に従って動作した帰結だと理解できる。

そして一秒前の脳の全ては、その一秒前の脳が入力される情報によって変質しながら、物理法則に従って動作した帰結である。これはあなたが生まれた時まで遡っていくことができる。

つまり、あなたのある瞬間の決定は、あなたが生まれた時にすでに決まっていたのだ。

ここに、自由な意志など存在するだろうか?

意志は確率的法則の帰結

いや、この世界は量子力学という確率的な法則に従っていて、その未来を完璧に予測することはできないはずだ。そのように言う人もいるかもしれない。

しかし量子力学は、その確率を完全に計算できる体系だ。つまり量子力学は、ある状況が存在し、これがAという状況になる確率、Bという状況になる確率、そしてそれ以外の状況には絶対にならないという帰結を完璧に予測する。

それはあなたの判断が量子力学の確率的法則の帰結であると述べているだけであり、人間が自由に判断、決定できるという余地はない

意志の法則が未発見なのか?

いや、まだ科学は未熟で、明らかにされていない法則があり、その法則の下では人間が自由意志を働かせる余地があるのだ。そう主張する人もいるかもしれない。

しかし法則が存在している時点で、議論は全く同じである。物質が何らかの法則に従って動作する限り、そこに自由意志が存在する余地は全くない

意志は法則を超越しているのか?

いやいや、人間の脳には法則に従わない、法則を超越した何かがあるのだ。ここまで来ると、神は存在するレベルの話になってしまうが、現代科学はこれにも既に答えをだしている。

近年の科学技術の発達により、覚醒した人間の脳の働きが、リアルタイムに追跡可能となった。

これにより生理学者のベンジャミン・リベッドは、人間が動作を始める0.2秒前に意識的な決定を示す脳内の反応が起こり、意識的な決定の0.35秒前には意識的な決定を誘起する無意識的な脳内の反応が起こることを明らかにした。【参照:マインド・タイム】

それはつまり、人間が判断を行ったと考えている瞬間の0.35秒前には、その判断そのものが脳内の、それも意識外に準備されていることを意味する。

よって、私達が自分で決定したと思っていることは、それ以前に無意識で準備されたものなのだ。

そしてそれらは、脳内の電気パルスの信号として観察され、さらにその信号は法則に従った動作の帰結である。

つまり、私達が自分で判断した、決定したと思っていることは、実は脳内における法則に従った動作のモニターに過ぎないのだ。

自由意志は0.2秒の間だけ存在する?

ベンジャミン・リベッドによる研究の後、意識的な決定から動作までの0.2秒間であれば、続く動作を中断、または拒否することが可能であるという研究が発表された。そしてこの事実が自由意志の証拠として議論が展開されている。【WIRED:「自由意志」は存在する(ただし、ほんの0.2秒間だけ):研究結果

しかしながら、この動作を中断しようとする意志はどこから来たのであろうか?

この研究における動作を中断しようとする意志は、動作それ自体の意志とは根本的に異なっていると述べるつもりなのだろうか?

そしてそれは、脳内の化学的な反応による意志とは異なり、法則に依らない意志だとでも主張するつもりであろうか?

お粗末な議論である。このような議論をする前に、動作を中断する意志を引き起こしている脳内の化学反応を議論すべきだ。

科学的議論は、自由意志の存在を否定する

前2節において、脳科学の近年の知見を議論してきた。しかし実際は、自由意志の存在を語る上で、脳科学は無力である。

それ以前に、この世界を科学で説明しようとする、つまり世界にはからくりがある、という前提で議論する限り、物理法則の埒外の「何か」を前提としなくてはならないのが自由意志であり、その存在は否定されるしかないのである。

脳のフィードバック機能から自由意志を肯定してしまう

それでは、なぜ私達は、自分の言動を自身で決定していると考えてしまうのだろうか?

その答えとしては、単に「脳にフィードバック機能があるから」と言うことができる。私達のある瞬間の意識では、次に実行しようとしていることが想起されており、私達はそれを実際に行う。その事実があるために、私達は自分に自由意志があると考えてしまう。

だが、よく考えてみよう。それを実行しようとする意志は、その瞬間より前の意志から発生したものであり、その意志の時間的な連なりは、その一日の目覚めた瞬間まで遡ることができるはずだ。つまり、あなたが今、考えていること、やろうとしていることは、覚醒後にどこからか浮かんだ意志の連続的なフィードバックの末に発生したものであると言うことができる。

いや、「私は、寝るときには起きたときにすることをすでに決めていて、それを実行しているんだ」という人もいるかも知れない。しかし、それを幼児期、つまり、意識が発生する2~3歳の頃まで遡った場合はどうだろう。幼児期に初めて発生した意志は、どこから来たのだろう。それは、分かりきっている。それは、物理法則の帰結だ。

つまり、ある瞬間のあなたの意志は、フィードバックの連続の末に想起されたものである。しかし、次の瞬間の意志が前の意志をフィードバックしているために、私達は自由意志があると思ってしまうのだ。



以上からわかるように、あなたは何も決定していないし、何も判断していない。あなたの地位や環境は、あなたが選択したからあるのではなく、物理法則の帰結なのだ。

関連リンク

マインド・タイム 脳と意識の時間
著者:ベンジャミン・リベット
翻訳:下條信輔
出版:岩波書店
発行:2005/07/28
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