外套・鼻 ゴーゴリ 著

外套・鼻 (岩波文庫)外套・鼻
岩波文庫
(2006/02/16)
ゴーゴリ
★★★☆☆
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ロシアの小説家、ニコライ・ヴァシーリエヴィチ・ゴーゴリによる、卑小で無価値な下級官吏の不運を描いた『外套』(1842年発表)、および激しくナンセンスな出来事を真面目に書いた『鼻』(1836年発表)から成る短編集。

ゴーゴリ(1809~1852)は、ロシア・リアリズム文学の祖とされる一方、幻想性、グロテスク、誇張された細部描写などの独特の手法で知られ、ドストエフスキーをはじめとする、その後のロシア文学への影響が極めて大きい作家である。【ウィキペディア:ニコライ・ゴーゴリ



『外套』は、書類を書き写すしか能の無い貧乏官吏の話で、外套を新調するという他愛のない出来事を出発点として、主人公の死に至るとんでもない話です。

こんな話なのですが、本書の解説を書いている訳者平井肇氏の絶賛ぶりがすさまじく
ゴーゴリはこの小説の中で何人(なんびと)をも問責することなく、伝道者的に隣人愛を鼓吹し、哀れなる主人公アカーキイ・アカーキエヴィッチ・パシマチキンの面影の中に卑小で無価値な、一個の《霊魂の乞食》の像(すがた)を描き出して、こうした一顧の値打もない人間でも、人道主義的な愛と、尊敬にすら値することを強調しているのである。(p. 133)
と大仰に述べています。

確かに、『外套』の主人公であるアカーキイ・アカーキエヴィッチは、しょうもない人間なのですが、「卑小で無価値な、一個の《霊魂の乞食》の像(すがた)・・・、こうした一顧の値打もない人間・・・」は言い過ぎだろう、と思ってしまいました。

とは言え、ゴーゴリの作品におけるしつこい描写や、不運をユーモラスに描くところなどが、後のトルストイやドストエフスキーに繋がっているとのことなので、ゴーゴリのパイオニアとしての偉大さを感じずにはいられません。

しかしやっぱり、トルストイとドストエフスキーの両作品に比べてしまうと、ゴーゴリの作品がすごい面白いとはなかなか思えませんけれども・・・。



『鼻』は、ある役人の鼻が突然無くなってしまうアバンギャルドな話なんですが、その鼻が人物として現れたりと展開もハチャメチャです。

そんな奇天烈な話なんですが、こんな話でも真面目にしっかりと書くと物語として成り立つんだなあ、と少し感動しました。


外套

★★★★☆
ペテルブルクに住む主人公アカーキイ・アカーキエウィッチ(父の名をつけられ、父称と名が同じ)は下級役人であった。仕事ぶりは真面目で、およそ小説の題材となりえるとは程遠い生活を送っていた。彼は修繕に修繕を重ね、同僚からは半纏と揶揄されるほど使い古された外套が、ついに修繕が不可能なことを知らされた。そこでアカーキイは外套を新調することにした。新調するには80ルーブリかかるが、それは大変な出費だった。預金や予想外の収入などにより、80ルーブリになんとか当てがつき、外套の代金が溜まった。新品の外套が手に入り、アカーキイは幸せな気持ちだった。およそ楽しみといったものはなく、仕事を機械的にこなすだけの日々だけだった彼にとって、それは画期的な大事件だった。それは同僚にも同じことで、新調した外套を着ていった日は、その話で役所中で持ちきりとなり、彼の外套のために祝杯をあげる騒ぎとなった。ところがその帰り道で・・・。【ウィキペディア:外套(小説)

★★★☆☆
ペテルブルクのウォズネセンスキイ通りで暮らしているイワン・ヤーコウレヴィチという理髪師が朝食を取っていると、パンの中から人間の鼻が出て来た。その鼻は常連客である八等官のコワリョーフの物であると彼は直ぐに悟った。この鼻をどうすれば良いのか悩んだ挙げ句にどこかに捨ててしまおうと心を決めて実行しようとしたが、知人や警官に見付かってしまい失敗する。そうした中で八等官コワリョーフは自分の鼻が消滅している事に気が付いて戸惑いながらも探す為に新聞社に広告を掲載して貰おうとするが、一笑に付されてしまった。その後、彼の鼻は見付かり、病院に駆け込むが医師には治療を拒否されてしまう。ある日突然彼の鼻は元に戻り、コワリョーフは上機嫌な毎日を過ごす様になった。【ウィキペディア:鼻 (ゴーゴリの小説)
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